令和4年度 東京都精神科医療地域連携事業公開講演会


2022年11月12日(土)15:30〜17:30 昭和大学附属烏山病院 入院棟1F 食堂ホール

司会 今井 美穂(昭和大学附属烏山病院リハビリテーションセンター 臨床心理士。以下、今井):

 それではお時間となりましたので、これより「令和4年度 東京都精神科医療地域連携事業 公開講演会」を始めさせていただきたいと思います。私、前半の司会を担当させていただきます当院リハビリテーションセンターの臨床心理士をしております今井と申します。よろしくお願い申し上げます。

司会 真田 建史(昭和大学医学部 精神医学講座 医師。以下、真田):

 後半の司会を担当します昭和大学の精神科の真田といいます。どうぞよろしくお願いいたします。

今井:それでは第1演題『発達障害の当事者グループの運営~現状と課題』を、「発達障害をもつ大人の会」代表、広野ゆい様にお話しいただきたく思います。ご講演前に広野様のご略歴をご紹介させていただきます。

 広野ゆい様は、NPO法人DDAC「発達障害をもつ大人の会」の代表をなさっており、キャリアコンサルタント、公認心理師、ロゴセラピストであります。広野様は2002年よりADHDのグループを主催し、2008年には「発達障害をもつ大人の会」を立ち上げ、リーダー養成講座、発達の凹凸を持つ人へのストレスマネジメント、人間関係の講座、また企業一般向けの研修、講演を年に数十カ所で行っていらっしゃいます。2016年からは株式会社アート・オブ・ライフを立ち上げ、多様な人材を受け入れ活用できる組織づくりへのコンサルティングを行ってらっしゃいます。そのほかにもNHKのハートネットTVやバリバラなど多数のメディアにもご出演なされておられます。本日は、支援者であり当事者でもある広野様より、発達障害の方の当事者グループについてご講演いただきます。

 それでは広野様、よろしくお願いいたします。

講演① 『発達障害の当事者グループの運営』~現状と課題〜

      広野 ゆい NPO法人DDAC「発達障害をもつ大人の会」代表

広野 ゆい(NPO法人DDAC「発達障害をもつ大人の会」代表。以下、広野):


 皆さん、こんにちは。広野と申します。私は大阪に今住んでいまして、自助グループを20年ぐらいやっています。途中からNPO法人DDACをつくってやっていますけども、それが今11、12年目ぐらいになります。

 キャリアコンサルタントと書いてありますけど、途中から大阪府の若者サポートステーションというニート、ひきこもりの就労支援をするところがありますが、2008年にDDACを立ち上げたときに大阪府の方がきて、サポステに発達障害の人がいっぱい来るんだけど、そこにいるキャリアカウンセラーが発達障害のことを誰も知らない。支援ができないから困って「ちょっと広野さん、相談やってみない?」と言われて、何も資格も持ってなかったのに、いきなりそこで相談をすることになって、それから資格を取って、気がついたらピアサポーターみたいな仕事をやっていたという感じです。

 

 そんなところで、まずこの活動は長いので、その経緯をちょっとお話ししたいと思います。発達凸凹に適応障害がプラスされると発達障害になるというようなことが言われ始めてもうかなりたつんですけれども、凸凹のある人だけで見たらかなりの数いるのではないかなと思います。

 ただ、全員が発達障害になるかというと、そうではなくて、適応障害が起こって何とかしなければと病院に行って発達障害という診断が出ます。そんなことで、発達障害が非常にわかりにくいというのがこの障害のしんどさをプラスしているような気がします。

 

 大人だけがふえているということだけを言いたくてこのスライドを作ったんですけど、成人期の発達障害の人の診断数は発達障害者支援法ができてからものすごく増えていって、これはその法律ができたことによってふえたんですけど、さらにADHDの薬ができましたとか何かいろいろなことでわっと増えるんです。

 そういった社会の環境に連動してることを実感します。さすがに20年もやっていますと。例えば発達障害者支援法ができると、できた後、大人の発達障害の相談がわっと増えて、最初はただのグループで相談とかやっていませんでした。そこにわーっと集まって、これは対処できないぞということになって「発達障害をもつ大人の会」をつくり、相談窓口をつくったのです。

 そしたら何とリーマンショックがこの年に起こったのです。やっぱり派遣切り、リストラ、あと新卒の採用がされないといったことでみんな困って、何回も何回も面接を受けても落とされたりとか、周りの人とうまく交流できないというだけでクビになるとか、あとは覚えるのが人より遅いとか、作業がちょっとゆっくりめだとか、そういうこともやっぱり非常に不利な世の中になってきて、そうすると就労の相談がまた増えたんです。

 これは何とかしなければということで、NPO法人格を取りまして、大人の発達障害の支援体制がまだ整ってなかったので、それを当事者で何とかしなければということで事業を行ってきたという経緯があります。

 

 もともと発達障害者支援法は議員立法です。議員立法は議員さんの運動でつくられる法律ですけども、それができた頃はもともとの自立支援法の中に発達障害が入ってなかったんです。だから発達障害者支援センターはできたけれども、ほかの地域の支援が発達障害に対応していなかったので、就労生活支援センターとか地域相談支援センターみたいなところへ行っても、「うちはちょっと発達障害は対象じゃないので」みたいなことを普通に言われることがよくありました。

 そういうことがあって、2010年ぐらいになってやっと発達障害もその中に含まれて、発達障害の人も見てくださいというふうになったわけですが、そこから支援者の方が一生懸命勉強し始めて今に至るということで、なかなかその地域で自分が得たい支援を受けるというのがまだまだ難しい状態が続いているかとは思います。

 

 ということでそんな発達障害、LINEがわからないとか、ASDの人、ADHDの人、LDの人と分かれているわけではない、皆さん特性まざってます。だから自己理解、私は何なの?というのをわかっていくのが非常に難しいということが言えると思います。ただ一つ一つの特性は違います。

 

 自己紹介の延長みたいになりますけども、例えばADHD、私の最初の診断はADHDだったのですけど、これは結構、普通の人の延長というか、程度の問題です。非常にこれは理解されにくい。だけど日本は、忘れ物してもいいよとか時間守らなくていいよとかというような環境はあまりないです。そうするとその一つ一つは小さいかもしれないけど、朝から晩までずっと怒られたり否定されたりみんなよりできないことが続くことによって、すごく鬱になりやすかったり不安になったりとか、そういう人間になってしまうというようなことが問題なのかと思います。

 

 ASDの特性は、私が40歳ぐらいに診断されたんです。昔の診断基準ではADHDとASDは併存しないといわれてたというのもあったと思いますけど、自分ではアスペルガーだと思っていて、何でかというと当事者グループに来るアスペルガーの人とかとめっちゃ話が合うんです。「わかる、わかる」と言って、それが純粋なADHDの人よりもASDの人のほうがすごく気持ちがわかって、「ああ、これは私ASDだな」と思っていたというのがあります。

 どういうところがというと、特に相手の立場に立つことが難しいという特性。私自身は相手の気持ちをすごく私は考えてるつもりで生きてたんですけども、二十(はたち)ぐらいのときにいろんなことがあって。

 私は東京の大学に行ってたんですけど、何かみんな二十になってお酒飲み始めたときに、お酒を飲んですごい私のことをひどいことを言うんです。でもよくよく聞いてみると、「あんなふうに酷いことを言うなんて、もう許せない」とか言っています。

 つまり私が常に相手の気持ちを考えないで酷いことを言ってて、みんな我慢していたんです。みんなお酒を飲んで酔って、私におしぼり投げたりする人もいるわけです。おしぼりを投げられたときに、「こんなふうにするくらい相手のことを傷つけてたんだ、私は」と思って、すごいショックで。でもそのときまだ発達障害って知らなかったから、人間って怖いと思いました。もう、だから関わるのをやめようと思いました。

 だから、それまではどっちかというと、わーって言ってわーってしゃべって仲よくなったつもりみたいな感じでしたけど、それからはもう新しい人には近寄らない。何か話しかけられたときだけ何とか話すみたいな感じになってしまったんです。

 ほぼ人と交流することをやめてしまいましたが、30代近くになってから自分が発達障害だとわかったので、発達障害の人と関われるようになっていきました。

 

 困ったのがやっぱりこだわり行動です。こだわりって「興味の偏り」とか「決まりきったパターンへの固執」と書いてあるけど、私たち本人から見たらそれは変化への弱さです。変わること、変えられること、想定内ではないことが起こることに対する動揺がものすごいあることを自覚しました。

 それが大きくて。それまではみんなも我慢してると思っていたんです。みんなは我慢強くて私は全然我慢できない人間なんだと思っていて、だから周りの人はスーパーマンみたいだなと思ってました。

 私、20代ぐらいまでは結構すぐぶちギレるタイプでした。だから何かが勝手に変えられたり変更があったりすると、それを受け入れられなくて、もうわあわあ怒っていたり、泣いたり騒いだり怒ったりして周りの人を困らせていました。

 

 ASDだとわかって知ったことは、普通の人は我慢してるのではなくて、そこまで動揺しないんだということです。それに気づいたときに、別に周りの人が我慢強いわけではなくて、私も別に我慢ができない人間なんだというわけではなくて、変化に弱いというそもそも持ってる特性を知らずに生きている人間なんだということに気づいたんです。

 で、やり出したのは想定内を増やしていくこと。想定内だったら、想定してたことだったら何かすっと入ってくるんです。だけど想定外のことだと、どんな小さいことでも無理なのです。なので、自分も想定内のことを減らして、想定外のことがあったときは何か対策を考えておくとか、そういうことをめちゃくちゃやり出して、それから大分ぶちギレたりとか、わあわあ騒いで迷惑かけたりとかしなくなったと思います。

 今、私50歳ですけど、このぐらいの年齢になると生きていて想定内のほうが多くなってくるんですね。非常に楽になりました。若いうちはやっぱり想定外ばかりで本当に毎日死にそうでした。

 そんなことで、全人口の1~2%が診断に該当しますけど、周辺の人まで含めると10%と、これは杉山先生の本に書いてあったんですけど、10%ということは世の中に10人に1人ぐらいはそういう人間がいるということです。だからやっぱりそういう急に変えられたらしんどい、受け入れるのにちょっと時間がかかる、ちゃんと説明してもらえたほうがいいとかいう人がそれだけいるんだということを、もっともっと世の中の人は知るべきではないかと思います。そのほうが変なトラブルを防げるだろうと。

 

 LDは読み書きです。これ微妙にある人多いと思います。診断されるまで至らないけど、ちょっとできない。職業選択するときにやっぱり読み書きがすごく必要な仕事とか、計算とか数字が正確でなければいけない仕事というものがありますね。そこが苦手な人はそれにつかないというのが大原則です。

 だけど人間ってできないことはできるようにならなきゃいけないと思っちゃっています。それをやると、ちょっと数字が苦手なのに銀行員になろうとしちゃったり。

 私も漢字が正確に書けないんです。右と左が逆になっちゃったり何か横棒が3本か4本かわからなくなったりみたいなことですけど、最初になろうとした仕事が国語の先生で、国語の先生なのに漢字めちゃくちゃなんです。

 それで教育実習のときに指導の先生にそこばかり何度も指摘されて、こんな誰でもできることできないなんて、本当に生きててもしょうがないなと思いました。そのとき、まだ発達障害を知らなかった時期で、私のできることなんかもう何もないと思って就職活動もできなかったです。

 そんなことがありまして、やっぱり自分の特性を知って職業選択をするというのは非常に大事なことです。

 

 もう一つ大事なことは、できないことを克服しようとしないということです。

 今の上の人たちは根性で乗り越えればできるという世代の人たちです。だけど、頑張ってもできないことを頑張り続けると二次障害になります。そもそも、それをできないことを自分が知らないということがあると、あっという間にこんなの幾つか持ってしまいます。

 「発達障害をもつ大人の会」を私はやっていますが、やっぱり大人の問題はこういったものの中の幾つも微妙に持っている人が多い。だから発達障害もグレーゾーン、鬱もグレーゾーン、強迫もグレーゾーン、パニックもグレーゾーンみたいな、不安障害もグレーゾーン、依存症もあるしみたいな。だから一つ一つは診断に至らないかもしれないけど、これが幾つも重なったらめちゃくちゃしんどいです。そのしんどさをなかなかわかってもらえないということが、大人の発達の人のしんどさなのかなと思います。

 でも自分でこういう傾向があるなというのを自覚して直していくとか改善していくということができますので、ぜひそれはもっとしていただけたらなと思います。

 

 特性に合った支援や理解を得られなかった、得られずに生きてきた、そういうふうに育ててもらえなかったということによって、愛着の形成の問題、あとはトラウマです。いじめられたとか、ものすごい失敗をしてしまったとか、そういうトラウマを抱えて生きている。そういうことを自分でちゃんと向き合っていくということが必要なのかなと思いますし、1人でやるのが本当につら過ぎる。だから仲間が要るんです。みんなでやれば結構簡単です。やっぱりたくさん集まってやるということの意味はそこにあるのかなと思います。

 

 じゃあ何が違うのというそもそものところは、やっぱり見え方、聞こえ方です。この辺はNHKでもすごい特集されたりしてるのでそんなに詳しくやりませんけど、外から見たときにやる気がないとか、いいかげんとか、無視してると見えるんです。だけど必要なものは聞こえてないし見えてないんです。

 

 だから私自身も、何でみんなは人の指示をちゃんと聞けるんだろうとすごく不思議で、必要な指示が届いている、必要な見なきゃいけないものがちゃんと見えている。そういう状況で皆さんは学校で勉強している。私たちは必要な音が必要なように入ってこない。必要な視覚的なもの以外のもののほうがむしろいっぱい入ってくる。

 そんな中で勉強を集中してやるというのはすごくしんどいです。このしんどさは、こういう状態になったことがない人にはわからないんじゃないかと思います。私たちも普通の人になったことがないので、じゃあ普通の人がどんな世界に生きてるのか知らないわけです。そういうところでやっぱり自分の特性をしっかりわかって人に説明するというのはとても難しいなと思いますし、そういう目で観察するとだんだんわかってくるんです。

 例えば私は娘が2人いて、幼稚園に行っていたとき、幼稚園のお迎えに行ったんです。幼稚園のお迎えに行ったときに、先生が、あしたの持ち物はこうこうこうとか、今日は何々しましたとかと言ってくれるんですけど、園児たちのわあわあって遊んでいる音が私にはもう渦を巻いた何かのようにわあーっと襲ってきていて、先生が何か言っててもわからないんです。全く聞こえない。だけど周りのお母さんたちは何かメモをとったりしています。聞いて「うんうん」と言って。あ、これ聞こえてるんだと思って。

 

 だから、ああ、これが聴覚過敏なのかなとか、何かそういうことが意識して日々生活していると、ほかの人との違いがわかってくるんです。だけど、全然意識しないで生活していたら、いきなり怒られて何だかわからないみたいな、何でみんなわかっているの、何で私だけ違うことをしているのと、すごく不思議だったし、やる気がないとか、いいかげんなのかな、無視してるのかなと思われて、よく怒られてきたんだなということをすごく感じたんです。なので、そういう自分の特性、感じ方、考え方を知ることも非常に大事なことです。

 

 あともう一つ疲れやすさです。普通、同じ一日を過ごしていても特性の弱い人と強い人では、その問題の起こすレベルが違うという表(33ページ下段)です。

 朝昼晩あって、普通の人でも面倒くさいな、かったるいな、疲れたな、暑いな、寒いなとか思うわけです。思うけども問題を起こさずに一日過ごしている。だけど特性の強い人、いわゆる過敏な人、いろんな情報を受け過ぎていろんなことを感じ過ぎてしまうという人たちは、一日がMAXのところから始まります。それで昼過ぎぐらいになったらもう頭がぼうっとしてきて集中できないし、何か言われても意味がわからないしみたいな感じになります。そんなところでいろんな問題が起こってくるのかなと思います。

 

 これを起こさないでいこうと思ったら、ベースのストレスを下げたらいいです。だから、あまり人がいないところで過ごすとか、やっぱり通勤とか通学のストレスを減らすであったりとか、いろんなことでストレスを減らしてこの問題を起こさずに過ごすということは不可能ではありません。学校へ行っているときは難しいです。

 だからその辺をうまく、お仕事では自分のパフォーマンスが発揮できる環境をどうつくっていくかということを自分で考えていく。本とかにも書いてありますけど、やっぱり自分はどうなのかということが大事ですので、それをしっかり感じていくということ。自分はこれがしんどいんだとか、ここまでは大丈夫だけど、ここはだめなんだというところ。それを一人一人しっかり感じていただきたいなと思います。

 

 そんなことで、一見私たちは普通に見えます。これバリバラのコメンテーターをしている玉木(幸則)さんに見えない障害とよく言われるという話をしたときに、「いや、でもね、見えてるよね」と言うんです。「周りの人はみんなわかってるよ」と、本人がわかってないと思ってるだけだよと。最初ぱっと見で普通に見えるだけで一緒にいたらすぐばれる。それは確かにそうだなと思いました。

 私たちの障害はDisabilityではなくてDisorderです。Developmental Disorder。Disorderって障害という意味ではなくて直訳すると「秩序を乱す、混乱する」という意味です。そう考えると、ほかの身体障害の方とかは足が悪いから車椅子とか、目が見えないからつえ持ってますとかとわかりやすいんですけども、発達障害の場合、できたりできなかったりとか、そういうのが激しくてすごくわかりにくいかなと思います。

 でも精神疾患もそうです。そこの能力が欠如しているというわけではなくて、例えば摂食障害だったら食べるという能力が欠如しているのではなくて、食べ過ぎたり食べな過ぎたりするわけです。だから気分障害とか不安障害というのも不安が全くない、欠けているのではなくて、すごく多過ぎたりするとか、その量の問題です。

 その辺の理解をしっかり支援するほうがしてくれないと、できるじゃんと言われるんです。でもたまにできても、それできるということにならないし、できた環境がたまたまかもしれないのに、「できるんだから、頑張れば」と言われると、ものすごいしんどいとなります。

 

 そんなとこで、やっぱり認知特性とか感覚とか思考回路とか、何が違っていてどういう環境になったら何ができるのか。そういうことをしっかりわかってくれる支援者、周りの人がいると非常にいいし、自分自身でもそういうことがわかっていけるようになれたらいいなと思いますけど、それで有効に働くのが仲間からの視点とか、同じような人を自分が見る。そういう機会があると非常に自己理解が進むかと思います。

 

 発達障害の場合、刺激と衝動がDisorderなのはADHDです。緊張と不安はASDです。やっぱり予測できる環境下、できない想定外が多過ぎる環境下というのでも違います。

 それで言うと人間って毎日違うんです。人間ってすごく苦手です。物とかは変わらないから好きです。だからそういう毎日変わるとか、相当この人は何でも何をやってもどうであっても大丈夫と思う領域まで安心感が進まないと、本当の安心ってなかなかできないと思います。

 すごい過敏過ぎたり鈍感過ぎたりということで、プラスの刺激、声かけがすごく大事だと思います。大人だと何か、褒めればいいというものではなくて、今までさんざんけなされて否定されて酷い目に遭って生きてきたのに、発達障害ですと言った途端にすごい褒められまくると気持ち悪いという人も結構いて、その辺はやっぱり本人の特性とかそれまでの環境に合わせてしていただいたほうがいいかもしれないと思います。

 この辺は軽く読んでおいていただければと思いますけど、まあ見え方、聞こえ方、感じ方が違うとか何かをしてほしいというよりは気持ちをまずわかってほしい。やってほしいこともあればやってほしくないこともあるとか。

 

 あとは家族の発達凸凹です。何か親御さんのほうが凸凹が大きいよねみたいな人は結構いて、親御さんの世代は、そこまで発達障害という言葉もないし就職もそこまで難しくなかったし、何となくやってこれちゃったみたいなうちも結構あって、だから親御さんのほうが何とかしたほうがいいんじゃないのということもたまにあったりしますけど、大人だったらちょっと親子あんまり密着しないほうがいいですよみたいな話になりますし、すごくその辺は家族丸ごとフォローするほうがうまくいくこともあります。

 

 これは当事者の人たちのアンケートで出たのものですが、こういうことを言われるとショックですみたいな、「それぐらい誰でもありますよ」とか「みんな頑張っているんだから頑張れば克服できるよ。何でできないの」とか「いい大学出てるんだから困ってないでしょう」とか「専業主婦だからいいんじゃない」とか「結局何が困っているの」とかいうようなことを言われるとしんどい。ただ信頼関係ができちゃえば言えるじゃないですか。だけどやっぱり信頼関係ができる前に言われちゃうと、この人には何もしゃべらんとこうみたいに思ってしまいます。

 

 ということで、ここからがセルフヘルプグループですけど、セルフヘルプグループのポイント、何が違うのか。当事者本人が自主的に集まって主体的に活動するというところです。いろいろなものがあります。依存症の会などは結構有名です。あと障害の当事者の会、慢性疾患や難病の会、あとセクシャルマイノリティ、LGBT、いろんな会がある。発達障害もその一つです。ものすごい数のセルフヘルプグループが世の中に存在しています。私は兵庫県なんですけど、兵庫県だけでも判明しているところだけで400から500のグループがあって、そういう冊子をつくってるセルフヘルプ支援センターがあります。

 

 ここで当事者団体、当事者グループというのがあるんですが、当事者団体というと親御さんと支援者がつくっているグループも入ります。なぜかといったら発達障害者支援法だったり国の施策の対象になるのは、親御さんも支援者も関係者みんな含めてそこに入ってくるので、そういう意味では施策の対象としてはみんなが当事者になるわけです。だけど、親は発達障害の当事者ではないんです。だから、そこはやっぱり考えなければいけないかなというのはあります。親は、発達障害の子を持つ親であるということでの当事者ではありますが、発達障害の当事者ではないんです。これはほかの病気でも障害でも同じですが、そこら辺をちゃんと線引きをするほうがいいのかなというのはあります。その中で当事者グループがあったときに、私たちがやっているセルフヘルプグループは、本当に分かち合いを中心にした自助のグループで、支援者がいて何かピアサポートを活用してそこにいる人たちを元気にするグループもある。これもすごくいいですね。

 

 こういった当事者グループが本当に支援されるべきなんですけど、当事者の支援といったら、親や支援者が入ってきちゃうんです。そしたらこっちのほうが力が強いのでお金を全部持っていかれてしまう。これちょっとNGであまり言えないところですけど、なかなか苦しいなと思いながら私たちは活動続けてきました。とはいえセルフヘルプグループ自体はあまりお金は要らないです。勝手に集まって100円とか300円ぐらいでやっているだけなので、そういう意味ではお金はかからなくてすごく楽しいみたいな、そういうところではあります。これを仕事にしようと思うと難しいんです。なのでセミナーをやってみたり、何か発達障害カフェバーとか東京にもいろいろありますね。仕事にしちゃうとやっぱり売り上げがとかそういうのが入ってきちゃって、一気にストレスがかかってくるんです。だからいきなり仕事にしないというのはとても大事なことです。

 

 セルフヘルプグループで得られるもの。これは発達障害だけじゃなくて全てのところが同じですけど、対等な立場から支えてもらえる、孤独感・不安感から脱出できるとか、あとは情報や経験が共有できる。特に「体験的知識」というものがありますけれども、これは体験から得た知識で、これが一人一人皆さんお持ちなわけです。一人一人持っている体験自体が非常に貴重なものです。グループのリーダーさんは、ずっとそこにいて、そういった話をいろんな人から聞いています。そういった意味でセルフヘルプグループにあるものは蓄積された「体験的知識」です。これは専門家が持つ「専門的知識」に匹敵するほど価値があるものだと言われています。

 そういう自覚を持ってリーダーさんはやってもらえたらいいなと思いますし、そういう意味ではもうどれだけ人の話をちゃんと聞けるかという、人の話聞くの苦手な私たちではありますけれども、たくさん話を聞いてちゃんと体験的知識を積み重ねることによって非常にそこが価値のあるグループになりますよというお話をしています。

 

 あとはヘルパーセラピー原則という、これは「助ける者がより助けられる」という原則です。前半のデイケアのお話でもあったんですけど、自分の話をしただけで喜ばれる。これが失敗体験でもそうです。失敗を話して喜ばれる、あんまりないですね。

 だからそういう意味では簡単に人の役に立てる。やっぱり人の役に立てると人間って元気になります。いっぱいいっぱいそれをすることによってどんどん元気になっていく。それができる場所なのかなと思いますし、ありのままでいてもよい。だから、よくなってもいいし、ならなくてもいいというくらいの緩いところがセルフヘルプです。

 

 これ発達障害の場合ですけど、モデルの存在。これはもちろんデイケアにもあります、回復のモデルです。一般のセルフヘルプグループだと、例えば会社には言ってないんですけど実は診断されてますとか、ケアマネですとか看護師ですとか時々ドクターもまじっていたりします。仕事をやってない人とか、生活保護で引きこもってますという人も来ます。いろんな人が来る。そういう意味ではより広いいろんなモデルがいると考えていいのかなと思います。

 

 おもしろかったのは、仲よくなった精神科の先生が、ちょっと興味あるから行ってみてもいいですかといって、ここの日に来るという日に全然何か連絡がなくて、いつ来るのかなと思っていたら、既に入って溶け込んで中で楽しく話してた。話している内容を聞いたら、この間、保険証を落としちゃって大変だったんだよとか話してて、当事者じゃんみたいな。そんな感じで、この特性に関する困難性ということでいうと、もう年齢とかそういう立場とか関係なく共感できるんです。不思議です。そういうところで自分の社会の中での位置とか、これできそうやなとか、これ無理かなとか、そういうのが感覚的につかめるという利点はあるかと思います。

 なので、若い人たちだけとか、二次障害の重い人を集めたものはしっかり枠をつくって、こういったデイケアとかで目的をつくってやっていくべきだと思います。そういうグループとセルフヘルプグループは全然違うものと考えていただいたらいいかなと思います。

 

 これ(38ページ下段)は私の診断から受容までですけど、診断されたのは20代後半です。最初のころは発達障害を治したくて、普通の人になったら責められたり排除されたり失敗したり嫌な思いをしないで済むと思ってたから、一生懸命どうやったら治るんだろうと思ってやっていました。周りの人も同じような考えで、みんなでこうしたら、「前頭葉に鍼を打つといいらしいよ」とか「何か海外からこんなサプリメント取り寄せたんだ。めっちゃよかったよ」とか、そういう話をして。論文を全世界から集めて読みまくって、先生にそれを言って嫌がられている人とかいましたけど。

 そんないろんなことを情報収集してみんなでやって、わかったことは普通っぽくなるけど普通にはならないということでした。限りなく普通っぽくなることはできるんですけど、だけどずっとやってると疲れてくるんです。本来の自分じゃないから。それでまた鬱になったりトラブルが起こったりするわけです。何だ、普通の人になれないじゃん、みたいな感じでちょっとがっかりしたというのがありました。

 

 関西ほっとサロンは今でもやっていますけど、この会を始めてからだんだん楽しくなってきて、失敗してもみんなで話したらわっと盛り上がるし、なんか生きていけそうだなと思えるようになってきて、そんなときにバリバラでコメンテーターをしている玉木さんに出会いました。玉木さんは障害でよかったと言っていたんです。自分はこの自分で、脳性麻痺でよかったと。すごく衝撃を受けて、何でそれでいいんですかと聞いたんです。うちの会に来てもらって話しして、もちろん脳性麻痺がいいわけじゃないです。やっぱり不便だし面倒くさい。だけどこれがあることによって、いろんな体験ができた。いろんな人と出会えた。それが自分にとってものすごく価値がある。だから自分はこの人生でいいと言っていたのです。なるほどと思って。

 

 そういう考え方だったら、私もそのほっとサロンをずっとやっていたことによってものすごい当事者の仲間がたくさんできたし、私、発達障害、趣味なんですよね。大好きなんです。もう変な人が来るとわくわくしちゃってしょうがないんです。そういうところで何か確かにめっちゃ刺激的で楽しい人生を送れてるかもしれないと思って、もういいやと思ったんです。私ADHDでいいや、発達障害でいいやと。それが受容です。だから診断を受けいれるという表面的なことではなくて、この自分でOKと思えるかどうかということが受容です。

 そうなってくるのに大事なのは、そういうあなたじゃだめですよと言ってくる人を周りから遠ざけるということです。でも、大体親がそういうことを言ってきたりしますよね。難しいんですけど、そういうふうに、あなたはそれでいいんだよと言ってくれる人をどんどんふやしていってほしいし、私はこれでいいんだと言っている発達障害の人をもっともっとふやしたいということで「発達障害をもつ大人の会」をつくったんです。

 

 昔の私がこんな感じです。自分を受けいれられなかったとき。自己否定と存在不安がベースにあります。だから、これ以上拒否されたり指導されたりしたくないから隠すんです。自分ができるふりをする。「できます」と言うとかそういうことをずっとやって、隠せば必ず失敗します。それでまた失敗して自分を恨んで、相手を恨んで、また自分なんかいなければいいのにとか、何かそういう感じで負のループです。

 それがどんどん仲間ができてきて、失敗してもみんなが受けとめてくれるし、まあええかなという自己肯定感。肯定というほど肯定でもなくて、「まあええか」「まあいいや」というぐらいですかね。まあいいやと思えると、どんどん自己受容が進んできて、仲間だけじゃなくて普通の人にも「これ、ちょっと私、難しいんですよ」と言えるようになっていったんです。言ってみると割と受け入れてくれる人が出てきて、それでまた元気になるという今度は正のスパイラルみたいになって、それでどんどん元気になったという経緯があります。

 

 ポイントは、特性は全く変わってないということです。内面が大きく変わったんです。お仕事でもこっちの自己否定ばかりの人と一緒に仕事するのはめっちゃ大変です。だって何を褒めても「いや、自分なんて」とか言うし、「これできる?」と言ったら「できます。やります」とか言って、やったらできひんやんみたいなのがある。だけどもう自分のことをわかっていて、「これはちょっと難しいんだけど、こっちだったらできますよ」とか、こういうことだったらこういうことで何かうまくいったことありますよ」ということをどんどん言ってくれる人だったら、特性があっても仕事やりやすいでしょう。この違いは非常に大きいと思います。

 

 ということで、これはデイケアをやるときに参考にしていただければと思いますけど、この辺の自分を肯定するとか周りの人たちを受け入れていくのが課題というぐらいの人には、非常にデイケアのほうがいいかなと思います。やっぱりセルフヘルプグループはちょっとハードル高いというかリスクが大きいということがあります。社会に出たらみんな肯定してくれないことのほうが多いです。ある程度自分のことがわかって社会に出ていく。だから全員が理解してくれない中でも、自分をしっかり保って自分の居場所をつくっていく。そういう段階でセルフヘルプグループがあると非常にいいのかなと思います。

 

 どこの段階でも、どんな人であっても、人生には意味があります。これは私が勉強してるロゴセラピーの考え方ですけど、どんなときもどんな人も必ずその人ができること、その人の役割が必ずあります。そう思って探していくと本当に見つかるんです。私はニート、ひきこもりの支援をずっとやってますけど、本当にそうだなと思うし、その回復を支える場、あなたは何を言ってもいいし何をしてもいい、あなたが本当にあなた自身であるならば。カウンセリングマインドの一つですけど、こういった雰囲気の場所をつくると勝手に元気になります。こんな居場所をどんどんつくってもらえたらいいなと思います。

 

 最後ですけどWell-beingというWHOの最近の健康の概念です。この図のポイントです。「社会不適応」の反対は適応ではないんです。「自分らしい人生」です。いろんなサービスやら仲間をつくったりいろんなことをして、最終的には自分の人生をつくっていく。それがゴールです。

 それは環境とも密接に関係しています。「環境との相互作用」と書いてありますが、ちょっと改善してきたら環境への働きかけをうまくやっていくことが非常に大事になってきます。

 適応はあんまりしようとし過ぎると過剰適応になって、また病気になります。私もすごい過剰適応の時期が長かったんで、全然治らなくて本当死にそうでした。でも「合理的配慮」の配慮が、配慮という言葉じゃなくて、調整とか変更という意味ですよというスライド(41ページ下段)ですけど、合理的配慮は一方的に配慮してもらうということではなくて、対等な人間としてしっかり私たちはこうです、だからこういうふうにしていきませんかということを当事者として提案していかなきゃいけないんです。

 そういう意味でいうと、配慮してもらうだけではなくて、やっぱりお互いがよくなるような環境を一緒につくっていきましょうよということを言えるぐらい回復していかなきゃいけない。自立していかなきゃいけない。それが私たちの今の課題の一つなのかなと思います。

 

 合理的配慮をするときに大事なのはストレングス視点、相手のできないところよりもいいところを見つけるとか大事です。発達障害が社会に受け入れられることはすごくプラスになると私は思っていて、ほかの障害の方も一緒ですけど、それがまず多様性を受け入れるということの練習になります。

 発達障害の人はめちゃくちゃ多いので、一つの違いとして社会に受け入れられたい。そのためにも私たちはこうですということを自己否定をせずにしっかり言っていける当事者にもっとなっていただけたらなと思うし、そういう人をどんどんふやすためにセルフヘルプグループをふやしたいなと思っています。

 

 ということで、これはうちのつくっている冊子なので無料でダウンロードできますので、興味のある方は見ていただければと思います。ちょっとオーバーしましたけど、これで終わります。ありがとうございました。(拍手)

今井:広野様、ありがとうございました。それでは質疑応答に移りたく思います。質問等ございましたら挙手をお願いいたします。

参加者○○:今日は大変有意義なお話をありがとうございました。当事者である私にとっては、本当にそれですということをたくさん話してくださって、今、私がまさに一般就労で働いていますけれども、大学を出てからずっと働いていて、事務職で女性としての気配りが求められるという地獄のような環境におりまして。入社してからやっぱりずっとだめ出しをされ続けて、本当に生活のために何か本当に泣く泣く頑張っている感じですけれども、本当にもうちょっと限界だなという感じが今しています。

 もう露骨に聞こえよがしに、「仕事ができない人が自分と同じお給料もらってるなんて許せない」とか言ってるのが聞こえてきて、わあすみませんとか思いながら仕事をしている。

 親も自分よりも多分多めに特性を持っている人で、会社でへこんで帰ってきて――今ちょっと高齢ですので母の世話というか介護的なことをしていますけれども、料理も掃除も洗濯も苦手で主語がない会話をしてくる母のフォローをしていて、自分の気持ちとか居場所が本当になくて。

 もう仕事をもしここでやめるとしても、事務とか女性的ないろいろとかを求められることはしたくないと思っていますが、自分らしくいられて社会にも、自分も努力をしますけれども貢献できる場所を、どういうふうに探して見つけたらいいのかがもうわからなくて。

 広野さんが今の広野さんになられるまでのいろいろおありだったと思いますけれども、どんなふうにどこに尋ねてみて何を経験してみたらいいのかが全然見当がつかなくて、そういったアドバイスをいただければと思います。

広野:そうですね。すごく難しい問題だと思いますけど、やっぱり転職すると給料は確実に下がりますね。

 障害枠で入ったとしても、今の給料より上になることはないんですが、それでも自分が本当にやりたいことだったら全然楽しく生きていける可能性はあるので、どっちをとるかは自分の選択かなと思います。じゃあ自分のやりたいことって何だろうというのは、本当に自分の感じるとか、これがしたいとか嫌だとかということにふたをして生きてきてるとなかなかわかんないというのはあります。

参加者○○:今それが見えないんですよね。

広野:ですよね。私自身も、普通の人になるとか適応するということにエネルギー使っている間は、自分のいいとこなんて一つもないと思ってたし何もできないと思ってたんですよね。

参加者○○:ここでやめたら、もう自分何もないんじゃないかみたいな。

広野:そうですよね。そこのところで私自身は当事者グループでずっとやっているうちに、私よりも全然お金もないし何なら生活保護だけどめっちゃ楽しそうに生きてるやんみたいな人がたくさんいて。

 逆に、お金はそれなりに稼いでいるんだけど、ものすごく会社でひどい目に遭っていたり、鬱になっていたり。大きい会社の正社員とかだと休職したりとかしながらも働けます。だから、一応しがみついてはいるんだけど全然幸せそうに見えないみたいな人もいるし。

 そんな中で、お金とかじゃないんだなということもわかってきたし、実際私が自分のできることを考えるきっかけになったのは、できないことを克服するのをやめたときでした。片づけできないとか、人と関わりたくないとか、何とか直さなきゃいけないと思って一生懸命やってたんですけど、もういいやと思って。

参加者○○:すごくわかります、それは。

広野:もう諦めたんです。できないんですよというのを、その当事者は受けとめてくれるので、できないんですよと言ってもいい人を周りにどんどんどんどんふやしていったんですね。できなくてもいい環境がだんだんできて。

 そしたら、もしかしたら例えば自分のしゃべりたいことを一方的にしゃべりまくる特性は、この講演にはぴったりだったりとか。あと発達障害が本当に、こんな変な人がいるんだと思ったらうれしくてしょうがなくて、私。

 変な人来るとうれしいというのは、今のカウンセリングの現場では、もう変な人来ると私にみたいな感じです。

 

 そうすると、私がダブルブッキングしても周りに許してもらえたりとか、何かちょっと書類難しそうだからやっておくわとやってくれたりとか、何かそういうことが生まれてきて、ああ全部やらなくていいんだみたいな。できることでうまく貢献して、できないことはもう頼んで、ありがとうと言ってやっていったら、何か生きていけるんじゃないかなという感じになってきたんです。

 

 なので、まず克服するのをやめるとか苦手なことをなくすのをやめるとか、あとは自分を否定してくる人と関わらないようにするという、今の仕事だと難しいと思いますが、何かできることからちょっとやっていただいて、できれば仲間をたくさんつくっていただければなと思います。

参加者○○:ありがとうございます。すみません、大阪にいらっしゃる。関東のほうにも何か活動の場とかお持ちではないですか。

広野:私は関東にはあまり来ないんですけども、新宿のNeccoカフェさんとかありますよね。いろんな噂は聞きますけども、チャレンジしてみてもいいかも。

参加者○○:そうですね。どうもありがとうございました。

広野:もちろんここのデイケアで仲よくなった人とまた新たに何かやってもいいし、ここのOB会でというのも全然ありだと思います。

今井:大変申しわけございません。お時間の関係上、まだご質問されたい方がいらっしゃるかと思うのですが、第1演題はここまでとさせていただきたいと思います。広野様ありがとうございました。もう一度盛大な拍手をお願いいたします。(拍手)