令和5年度 昭和大学附属烏山病院 秋季公開講座


2023年11月25日(土)13:30〜14:30 昭和大学附属烏山病院 入院棟1F 食堂ホール

司会 今井 美穂(昭和大学附属烏山病院 臨床心理士。以下、今井):

 それでは第2演題に移りたいと思います。『発達障害と依存症』をテーマに、昭和大学医学部 精神医学講座の常岡俊昭先生にお話しいただきたいと思います。ご講演に当たり、常岡先生のご紹介を簡単に行わせていただきます。常岡俊昭先生は、昭和大学医学部精神医学講座准教授であり、精神保健指定医でいらっしゃいます。平成16年に本学をご卒業後、本学医学部精神医学講座にご勤務されていらっしゃいます。当院の精神科急性期病棟、慢性期病棟の病棟医長をご歴任され、依存症疾患を中心に幅広くご活動、ご活躍をされていらっしゃいます。

 それでは改めまして、常岡先生よろしくお願いいたします。

演題② 『発達障害と私と依存症

     常岡 俊昭 昭和大学医学部精神医学講座 准教授

常岡 俊昭(昭和大学医学部 精神医学講座 准教授。以下、常岡):

 改めまして、医師の中村善文です。デイケアを月曜日から木曜日で利用している方々、ご無沙汰しております。去年の公開講座が終わった後に院長から「来年は先生よろしく」と言われたとき、まさかねと思っていたら、本当にやることになるとは、立っている今も信じられない状態ですが、よろしくお願いします。

 よろしくお願いします。烏山病院の常岡といいます。ごめんなさい、ちょっと最初に皆さんに伺いたいのですが。今日は発達障害関係と依存症関係を中心に来られているかなと思いますが、ふだんどちらが関係者的に多いですか。どちらでもない人は手を挙げなくていいです。どちらかに(関係が)ある人は手を挙げてほしいです。

 

 発達障害関係の当事者、家族、支援者で来ていますという方、ちょっと手を挙げていただいていいですか。――はい、ありがとうございます。

 次に、依存症関係の当事者、家族、支援者で来ていますという方。――はい、ありがとうございました。半々、2:1ぐらいで意外と発達障害の方が多いですね。ありがとうございます。

 発達障害と依存症は意外と合併したり、一緒にあったりします。よく合併すると大変じゃないかという話をされますが、今日、僕のほうでは、それがどうかという話を30分ぐらいぱーっと話させていただければと思っています。多分、質疑の時間をあまりとれないので、最後に、「質疑の方、こちらへ」みたいなスライドをつくっています。QRコードなので、後で写メしてもらうか、紙でやってください。お願いします。

 

 ふだんの自己紹介からです。こんな感じです。僕は1979年生まれなので44になりました。昭和大学出身です。バックパッカーとかやってふらふらさせてもらい、2014年に戻ってきてからはいろんな病棟を転々としています。

 ちなみに、この前、2キロのファミリーマラソンを走りました。20分で閉まってしまうので、子供と一緒に20分で完走をしようと目標を立てました。はあはあ言いながら頑張って15分で帰りました。目標の立て方としてはいいんですよね。僕は42キロのマラソンなんて無理なので、具体的な目標を立てて、具体的に時間を決めて、こんな目標を立てながらいつもやっています。

 

 烏山病院での依存症治療(の変遷)です。僕は依存症を専門にやっていますが、こんな感じでいろいろ変わってきました。昔はアルコール病棟がありましたが、2009年ごろ閉じてしまいました。(依存症は)依存症(専門)病院にとはいっても、入院される方の中に依存症関係もたくさんいるので、依存症(治療)プログラムをつくりました。入院の患者さんにつくったら、外来でも「退院後、外来ってどうするんですか」と言われて、そりゃそうだなと思って外来のプログラムをつくりました。

 

 最初はアルコール、薬物、ギャンブル、みんな一緒に(プログラムを)やっていたら、アルコール、薬物の人は結構一緒にやってくれます。実際に薬物なので、「アルコールは合法の薬物です」という説明でみんな入ってくれますが、「ギャンブルとか買い物はちょっと違う」とみんなに言われて、プログラムの内容を変えるというよりは、入る人たちを変えました。先ほど、発達障害の人たちのピアの力はすごく強いと言われていましたが、プログラムの内容そのものよりも、依存症はピアの力でピアで集まる、行動嗜癖の人は行動嗜癖で集まるのは、すごく意味があるのかと思っています。

 

 オンラインの自助グループをやったり、外からのいろんなAAのメッセージを院内全員で聞くとか、僕たちのほうが内科の病院に行ったりしています。今年はコロナで1回クラスターが起きましたが、AAに行かせてくれと言って、クラスターが起きていても全部外出をとめないという感じで、依存症の治療をやっています。

 うちの病院の依存症の基本的な考え方はこんな感じです(16ページ下段)。依存症は誰でもなるんだよと。だから、当然、鬱病や統合失調症と同じように扱うし、ほかの病気と同じようなものですよと(言っています)。よく(お酒を)飲むのは意志が弱いと言われますけど、そうではなくて症状なんです。喘息の人が発作を起こしたときに、意志が弱いと言う人はいないでしょう。それと同じ症状だよと。

 だから、症状が出たら怒るというのはあり得ない話です。よく飲んでるから悪いことするとか、ギャンブルやめればいいのにとか言いますが、そうではなくて、つらいからやらざるを得なくなるんです。その前提に何かあるのを考えたい。

 

 あとは、来続けてくれれば(つながり続けてくれれば100点)。これも発達障害の人も一緒かと思います。結局、つながり続けて仲間の中にいると自然と何か起こるので、来続けてくれていれば100点と思っています。自助グループ、外でも仲間を見つけてくれればもう100点以上です。

 病院は「マイナスを0に」できるかもしれないけど、「0からプラス」というのは病院ではちょっと難しい。仲間の中にいてもらうとよくて、回復者を「先行く仲間」と言いますが、依存症を持ってすごく苦しんだけど、今は依存症になってよかったと思えている人たちはむちゃくちゃ格好いい。そして、目の前の患者さんが回復者になって、援助者になって、一緒に何か治療できたり活動できたらむっちゃ楽しいというのが、うちの病院の基本的な考え方です。この話を今後詳しく話していきます。僕がむちゃくちゃ切れるからというのもありますが、少なくともうちの病院では、「依存症は診ない」と言う人は今はいない状態になっていると思っています。

 

 では、一言で依存症とは何なのか。答えを先に言うと、脳の病気です。具体的にどんなものか。脳の中のコントロール能力というものが破壊されると言われています。なので、10年やめていても1回飲んでしまうと、10年間やめていたからもう大丈夫という話にはなりません。また飲むと、すぐもとの状態に戻ってしまいます。

 

 どれだけ不利益かという話を説明するのは、若い援助者にありがちな間違いです。不利益なことはわかっています。だって、みんな自分で人体実験やっているんです。10年お酒を飲んだらどうなるか僕らはわからない。テキストでしか読んだことはないけど、お酒の(依存症の)人なんて自分でやっているわけです。ギャンブル依存の人は、全てをギャンブルにかけた結果どうなるかを実体験しているわけです。それを僕らがちょっと教科書で読んでこうだよと言っても伝わらないですよね。不利益だとわかっていてもやめられないのが依存症です。

 それで生活の中心が依存対象になってしまう。何でやるのか。まるで依存対象が好きかのように見えますが、そうではないと言われています。脳がアルコール、薬物、ギャンブル、その依存対象だけに反応するようになっている。ほかのことはどうでもよくなってしまう。わかりやすく言うと、依存症というのは、その依存対象が好きな病気ではなく、依存対象以外のものがどうでもよくなる病気なんです。

 

 結果として見ると、昔はテストで点数をとったらよかったとか、仲間に信頼されてうれしいとかあったのが、どうでもよくなってしまう。でも、生きていくためには何か楽しみが必要なので、その楽しみがアルコール、薬物、ギャンブルにしかなくなってしまう。だから、アルコール、薬物、ギャンブルを使わざるを得なくなるという「脳の病気=障害」ですよという話をいつもさせてもらっています。

 

 そう言われて、依存症は病気だ(ってことは)、すごくぴんとくる。つまり、がんや糖尿病と全く一緒だと思うか、いやいや、病気と言われても何か違うと思うか。皆さんの中でどうですか。ちょっと1、2、3で手を挙げてほしいです。1番はそもそも病気じゃない。あれは意志と根性の問題だ。2番は病気だと言われてるから病気なんでしょう。でも、ぴんとはきません。3番は普通に高血圧やがんと同じ病気だ。どれかに手を挙げてくださいね。大丈夫ですか。うちのスタッフもどれかに手を挙げてください。

 1番、あれは意志と根性の問題だ。2番、病気だと言われているけどぴんとこない。――正直に手を挙げてくれて、ありがとうございます。3番、何が違うのかな、がんと同じ病気だ。――優秀ですね、うちのスタッフは3番に手を挙げてくれてよかったです。ありがとうございます。

 

 そうです。病気ですが、なかなかぴんとこない方もいる。何でぴんとこないのかということで、いつもこんなスライド(11ページ下段)をつくっています。ほかの病気と比べています。統合失調症は皆さんご存じですね。100人に1人ぐらいがなり、脳の中のドーパミンシステムが壊れてしまう病気です。脳の中の1カ所が壊れるという意味で一緒です。

 そして、今すごくいい薬がたくさん出ているので、薬物療法をしっかりしていたら全然働けるし、結婚できるし、子育てできます。極端な話、ここにいるうちのスタッフが実は俺、統合失調症で薬飲んでるんだよと言っても、ああ、そうなんだと思うぐらいの話です。ただ、10年きちんとやれていても、薬をやめると再燃してしまうので(統合失調症と依存症は)一緒です。

 

 こんな話ばかりしているので、統合失調症の人たちは、やっぱりやめたら不利益だよなと自分でわかります。でも中には、俺、ちょっと薬やめてもいけるんじゃないかと誘惑があるらしく、ついやめてしまう人も結構います。あまりいいことではなく、なかなか悲惨なことになってしまうと思いますが、それでもやめてしまう人がいる。人によっては、薬を飲む飲まないが生活の中心になってしまったりするということで、「統合失調症と一緒だから、ほら、病気でしょう」という話をいつもしていました。

 そしたら、コロナ前の講演会で、一番前に座っていたおじいちゃんが突然立ち上がって、「統合失調症は知っている。根性の足りない病気だ」みたいに言われたんです。だから、統合失調症と同じということは、やっぱり依存症は根性の問題だと言われて困りました。うつ病はどうですか。あれは気合いが足りない病気だ。高血圧はどうでしょう。あれはラーメンの食い過ぎだ。糖尿病は。ケーキバイキングの行き過ぎだと。

 「じゃ、何なら病気ですか」と話をして、唯一そのおじいちゃんが認めてくれたのが、アレルギーでした。「アレルギーは病気だと思う」と言ってくれたので、無理やりですが、アレルギーと比べます。アレルギーは体の中の免疫システムが破壊されます。1カ所が破壊されて、ほかは全部正常という意味では一緒です。1回サバアレルギーになったら、10年間サバを食べなくても、10年後にサバを食べたらアナフィラキシーを起こします。そういう意味で一緒です。

 人によっては、毎回毎回かゆくなるのに食べる人がいませんか。あれは依存症とは言わないですが、アレルギーはそんな人もいます。中には、そのアレルギー物質を避けるかどうか、入ってるかどうかが生活の中心になってしまう人もいる。我ながら強引だと思いますが、アレルギーと一緒と言われるとすごく病気というイメージがつきやすいと思うので、持ち帰ってもらえるといいなと思っています。

 

 病気ということはそんなに絶望する必要はありません。病気だから治療すればいい。いろんな治療方法があるので、治療してもらえばいいんですよ。でも、依存症の当事者の人たちもよく思うことが、なぜやめられる人もいるのに、俺はやめられないんだろう、うちの息子はやめられないんだろう、あいつはやめないんだろう。全員がこれを飲んだら確実に依存症になるというものがあったら、すぐに国が発売停止をするし、みんな仕方ないと思うと思います。青酸カリを飲んで死んだ人がいて、あいつは意志が弱いという話にはなりません。誰が飲んでも死ぬものだからです。

 

 何で意志の話が出てくるか。多分うまくやれている人もいるからでしょう。つまり、俺はうまく(酒を)飲めるのに、なぜおまえは飲めないという話だと思います。これはアレルギーと一緒で、「俺、サバ食えるよ。何でおまえ、サバ食えない」と言っているのと一緒ですが、なかなかそこがぴんとこないのかもしれません。

 じゃ、何でやめる人もいるのにやめない人もいるのか。わかっていませんが、恐らくは統合失調症、糖尿病と一緒で、先天的なものと後天的な要因が両方あると言われています。大事なのは絶対量、つまり、これだけ飲んだら必ず(アルコール依存症に)なる、これだけやったらギャンブル依存症になってしまうというのは決まっていません。

 国がIR(総合型リゾート施設)で、週3回に絞るからギャンブル依存になりにくいので大丈夫なんて言っているのは、僕らからすると、そのデータをどこかへ出せよという感じで、すごいナンセンスです。アレルギーで発症する人としない人がいるのと一緒かなと思っています。

 

 さらに、でも依存症って何かという人は、大体、皆さん、結局「好き」の延長線上でしょうと(思われています)。こんな例文がよく裁判でも出てきます。出てくるたびに、僕らは最高裁にクレームの手紙を出しています。じゃ皆さん依存症になれますか。当事者の方がいるかもしれないので、自分はなれたとかはなしにしてくださいね。例えば、皆さん最も好きな食べ物を思い浮かべてください。当事者の方は自分の対象以外のもの(で考えてください)。中村先生は最も好きなものは何ですか。



中村(善)そうですね、じゃカレーにしましょう。

常岡:今からカレーを食べ放題です。何カレーを食べてもいいですが、カレー以外食っちゃだめ。どれぐらいいけますか。

中村(善)もって2日ぐらいじゃないですか。

常岡:さすがに根性なさ過ぎませんか。ここは1週間とか返してくれるんですけど。(笑)

中村(善)いや、やっぱり飽きます。

常岡:最も好きなのに2日で飽きますか、そうですか。皆さんどうですか。

 アルコール依存症の人はアルコールだけあれば数年レベルでいけますし、全ての楽しみがギャンブルなんていう人、新婚旅行のお金をギャンブルにかけてきてやっちゃったみたいな人はたくさんいるわけです。

 もし、好きの延長だとしたら、一つのものをすごく好きでずっとやり続けるのは、普通は意志が強いと言います。一番好きな食い物すら2日しかもたない人は、かなり意志が弱くてだめな人ですよね。(笑)

 そういう話ですか。違います。人間って飽きる生物だから、好きなものは飽きるんです。だから、中村先生がカレーは2日で飽きると言ったのは、カレー依存ではなくカレー好きだということで正しいです。じゃ、何で依存症者は飽きないのでしょう。これは依存のポイントです。皆さん、依存しているものはありますか。

 

 質問します。トイレに行きたくなったとします。僕はトイレに行かないで最後まで聞いてくださいよと頼みます。ここで、頼まれたし、せっかく聞きに来たから、漏らしてでも最後まで聞いてくれる人が1番。そんなことを言われても、ダッシュでトイレに行って帰ってきますよという人が2番。どちらか手を挙げてください。

 1番、漏らしてでもちゃんと聞いてくれる人。――1人いますね。その人の周りはちょっと離れていたほうがいいかもしれないですね。ありがとうございます。

 2番、トイレにダッシュする人。――おまえらちゃんと司会やれよと思いますが、司会者たちもトイレに行くと言っています。何でですか。トイレは3歳ぐらいから始まって80歳ぐらいまでずっと毎日、1日何回も何回も行きます。しかも、大した意味はないのに優先順位がむちゃくちゃ高くないですか。これって依存ですよね。

 何でそんなにトイレに行きたいか。いろんな人に聞いて、今まで「いや、あのトイレのチャーっていう感覚が忘れられなくて、あれを1回逃すのはもったいないから絶対トイレに行くんだ」という人に会ったことがありません。ここで漏らしたら臭いし、周りに嫌がられるし、周りの知り合いからは勝手にあだ名が「トイレちゃん」になっているし、次からこの病院に来れないかもしれない。そもそも帰りどうしようと、大体みんな不快だからです。

 

 つまり何が言いたいか。人は好きなことは飽きますが、嫌なことを避けようという気持ちは飽きません。これが依存症なのかなと思っています。自己治療仮説と言われたりします。「好き」で依存症になる人はいないとは言わないですが、かなり少ないと思います。野球が好きな男の子がイチローになるぐらいのレベルで、かなり少ないと思います。依存対象を使ったときに何か嫌なことを忘れられるので、魔法の薬になってしまう。酒飲んだら全部忘れられる。ギャンブルしている間はつらいことを考えなくて済む。そうなったら魔法の薬を使わないと無理だといって、どんどん必要になっていくのが依存症なんだろうと思います。

 ただ、この人は何か依存症になる理由があったというのがわかっても、何でギャンブル依存になってアルコール依存ではないのか。何で覚醒剤ではなくて大麻なのかはわかりません。うちの病院では、依存症になったのは、「アレルギーみたいなものだからね」。何が悪かったんでしょうか。「運が悪かったんでしょうね」と答えたりしています。

 

 こんな感じで、何かつらさがあり、つらさに対して依存対象がうまく働いてしまった。1日1杯ビールを飲んで1日の疲れを忘れるのが悪いとは個人的には思いませんが、疲れの取り方がお酒しかなかったらどうなるか。だんだんお酒は効かなくなります。お酒もギャンブルも薬物も、だんだん耐性というものがついてくる。そしたらふやすしかありません。ビール1杯で酔えなかったらどうすればいいか。日本酒を1升飲めばいいんですが、毎日飲んでいると大体みんな体が壊れますね。そんな感じでいろんな害が出てきたのが依存症です。

 

 だったら、手を出さなきゃいいじゃん、最初から世の中になきゃいいじゃんと。アルコール、薬物、ギャンブルは最初からなくてもいいかもしれませんが、買い物依存というものがあるので、買い物できない世の中は困ります。あと、性依存があるので、性を全部とめると、日本は一瞬で少子化で死んでしまいます。

 なかなかとめ切れないのもある中で、こんなことを言っています。「溺れてる時に『違法』『後でつらいよ』『後悔するよ』という浮き輪があったらどうする?(BYマーシ―)」。医療者の答えは決まっています。違法だろうが、後悔しようが何でもいいからとりあえず生き抜いて、後でまた一緒に考えようとなるわけです。

 違法なものを使わない、やばいもの、後悔するものを使わないではなくて、後悔しないためにどんなものがいいか。ほかの浮き輪はどんなものがあるよとか、溺れないようにしようというのが重要です。

 

 そもそも依存症の人が依存対象をやめたらハッピーなはずはありません。つらいから使っている。自己治療に使っているなら、治療がなくなったら、薬がなくなったらつらいに決まっています。別な薬を用意しなきゃいけない。人生の松葉づえになっているので、ほかの松葉づえが必要です。それに最も有効性が高いのが、人に依存することだと言われています。

 

 よく「自立しなさい」と言いますが、自立とは何なのかという話があります。僕たちは、自立というのは依存先がたくさんあることだと思っています。その依存先の1個がなくなっても立っていられること。何か1個に依存して、それがなくなったらもう立っていられないというのは自立ではありません。

 依存先が10個あり、1個なくなったら「ああ、つらいな、残念だな」とは思うけど、立ち向き合えること。恐らくこれが自立なんだろうなと思っています。

 「一人ではない」と思ってもらうこと、これも大事です。孤独というのは精神病を悪化させる大きな因子だと言われています。人に依存できない人が、人以外に依存するのが依存症ではないかと言われています。アルコール、薬物、ギャンブル、依存対象に目が行きやすいですが、そうではなく、何で使っているのという話です。

 

 前半のまとめです。依存症というのは精神疾患です。なので、依存症を無理やりとめるのではなく、(依存対象を)使う必要がなくなるというのが大事です。もし、その使う原因が、例えば自分は何でフランス人じゃなかったんだと言われても僕らとしては困ります。江戸時代に生まれたかったのにと言われてもなかなか(治療)できないですが、何で発達障害なんだ、統合失調症なんだといったら、僕たちは介入できるかもしれません。

 統合失調症は治らなくても、統合失調症のつらさというものは介入できるかもしれない。発達障害自体は治らなくても、発達障害が受け入れられるような形での表出に変えることはできるわけです。もしこれが原因だったら超ラッキーですよね。

 

 ちなみに、(依存症は)意外と多いです。うちの病院がしっかり依存症(の診療)を始める前に、入院患者さん全員の退院サマリーを後輩にたたき起こさせたことがあります。676人を診させたら、依存症で入院してきていないのに、退院サマリーに「アルコールか、薬物か、ギャンブルか、生活上に問題があります」と書かれた人が19%、5人に1人でした。これは右側2人と左側2人を見てもらって、その5人の中の1人は依存症というぐらいの割合です。

 

 しかし、なかなか依存症はうまく言われていないのは何でか。こんな感じで、精神疾患と依存症は違うものと習ってきたり、違うものといって成長してきた過程があります。特に依存症といえばほとんどアルコールでした。何で医学生がアルコールの勉強は少しするかというと、体が悪くなるからです。ギャンブルはいくらしても体は悪くならないので全然習いません。違法薬物は少しだけ習いました。通報していいのか悪いのか、基本はいけないのでそういう話が少し出たりします。ギャンブルなんてここら辺で外でした。勉強していません。ゲーム依存なんて、当時、「ゲーム、これ依存ですよね」と言ったら、「ふざけるな」と怒られるような時代でした。

 そんな時代がずっと長かったので、依存症と違うものとなったりしますが、本当は、発達障害も依存症も内因性疾患もたくさんあって、しかもそれがかぶり合っている。かぶり合うとどうなるのか。発達障害と依存症が重なると大変なのか。

 

 まず、発達障害はどうでしょう。僕は自分もADHDだと思っていますが、ADHDはいろんな豊かな特徴があります。もしかしたら発達障害にかかわっている皆さんのほうが詳しいかもしれませんが、坂本龍馬はADHDじゃないかと言われたりすると、こんな話が出てきたりします。

 ASDもよくすぐれた特徴を言われます。流行に左右されない。論理的である。感情に流されない。こんないい点もあります。それが悪い面として出てしまうと依存に行くわけです。どうするべきか。悪い面ではないほうに行けばいいわけです。

 

 また依存症の治療に戻ります。依存症の治療は物質を使わないことではなく、使う必要がなくなるようにすること。依存は原因ではなく結果です。だから、依存の手前に何かあるというのを考えていく。僕たちは飲んだ飲まない、使った使わないは、どうでもいいと考えています。

 この話をすると、意外と「え、何で」と言われますが、皆さん、リストカットを無理やりとめさせちゃいけないという有名な話をご存じですか。リストカットは、これ自体に効果があったりします。リストカットを無理やりやめさせると、かえってうつ病になったり、死んでしまったりすると言われています。リストカットで何とか(死を)延ばしてきた。リストカットは心の傷を体の害にして何とか生き延びてきた人たちが、それができなくなると余計つらくなってしまうと言われています。

 

 でも、リストカットも含めて、依存症をやめられている人がいます。その人たちは新しい松葉づえを手に入れたということになりますよね。多くの依存できる仲間を手に入れている。「一人ではない」と実感できているということになりますね。どうですか。僕は普通にむちゃくちゃうらやましいなと思うんです。

 皆さん、自分の一番汚い部分とか、怒りとか、あいつ死ねばいいのにとか、あいつに対して嫉妬するとか、何であいつだけ認められてるんだ、むかつくなとか、そういう感情を全部何の気兼ねなく話せる相手がいますか。僕は少ないんじゃないかと思います。もしかしたらそれが発達障害のピアにもあるのかもしれません。やっぱりそういうものをしっかり話せる相手を持つというのは、精神衛生上すごくいいことで、すごくうらやましいことだなと思います。依存症もこんないい点、すぐれた点がたくさんあると思っています。

 

その中で、依存症、発達障害の共通点があります。なったこと自体には本人の責任はありません。依存症も発達障害も別に自分が何かやったからなるわけではないです。ただ、そのまま放っておくと生きにくいから何かやろうということで、仲間というのがすごく効果が出てくる。そして、自分の特徴を自分はこういう者だと理解するとすごく楽になっていく。それをさらに越えると、恐らく自分が障害を持っているというものが障害でなくなるのではないか、誇りになるんじゃないかと思っています。

 

 いま下北沢で、「ギザギザハートのアスペルガー」という公演をやっています。最後にアスペルガーの本人が、「アスペルガーは自分に与えられたギフトなんだ」と叫んで終わるという劇です。自分の特徴がわかって、それを自分で認めて、自分が愛せることになったら、それはむしろ誇りになる。

 僕がいつも一緒に公演している三森(みさ)さんという依存症の人も、「私は依存症があったからこそ、こんなに自分でもって自己理解が深まった。依存症があったから私なんで、依存症をなかったことにさせる医療者は許せない」という話をいつもします。依存症と発達障害は、障害が誇りに変わるというのが一緒なのかなと思っています。

 その二つを合併するということは、どんなことなのか。確かにどちらかを治療してもうまくいかないことは多いです。ただ、それぞれに対していろんな治療が使え、それぞれに対しての社会資源が使えるわけです。例えば依存症だから自助グループに行きつつ、ADHDだからうちのADHDグループで水野さんに診てもらうとか二つ使えるわけです。

 それぞれの援助者がつく。例えば、僕のことは大嫌いだけど、デイケアに行って今井さんに会ったら、今井さんのことは大好きとか、2人の医療者がつけば当然、合う援助者に会える可能性は倍になります。二つの面から見てもらえるというのは決して悪いことではないと思っています。

 治療の選択肢や本人がよいと思う援助者と出会える可能性も上がり、いろんな場所がふえるので、実際、ああ、この人自助グループが使えたらな、この人ピアグループが使えたらなという人が多かったりします。それが二つあるというのは、全然悪いことではないと思っています。

 

 ちなみに、発達障害はふえているのかという話があります。僕は、ASDもADHDも依存症も得意な場所が与えられたらギフトになり、合わない環境だと障害になると思います。もし違ったら、後でデイケアの方々、突っ込んでいただいていいですが、僕はそう思っています。

 最近、発達障害がふえているというのは、要は、「不寛容」が多いんじゃないかと思ったりします。不寛容はつまらない。ADHDの僕からすると刺激が少ないんです。全然楽しくないんですよ。何か不寛容で「違う点探し」をしている間はおもしろくない。

 

 そこで、うちの病院は、依存症はスタッフがわくわくしないと続かないという発想でいろいろやっています。違いがあるからこそ発展を呼ぶんだと思っています。違いをできるだけ誇りに思ってもらえるようにできたらいいなと思い、いろんな場所を提供しています。

 勝手に「烏山病院ワクワクプロジェクト」と言っています。患者さんに自助グループを説明してもらいます。いつも自助グループの説明を僕たちがやっていましたが、全然うまくいかない。自助グループの理解不足だと思って、自助グループに山ほど行った上で僕たちが説明しても全然うまくいかない。自助グループをむちゃいいと思っている人に宣伝してもらおうと気がつきました。

 そしたら、実際、自分が魅力的に感じている人が「一緒に行こうよ」と言うと、みんな行ってくれるというデータがあります。ちょっと説明して、「こうやって説明しときました」みたいに、患者さんと一緒に説明を受けるのがうれしいなと思っています。

 

 こんな(アディクション関連)プログラムをやっています。プログラムは、すごく理解している人がやるというよりは、理解していなくても、患者さんと一緒につくっていくような感じです。家族のミーティングをやってもらったり、外の総合病院に僕たちみんなで行って、精神科に行くのはちょっとという体が悪い人に、「精神科においでよ」という話をさせてもらっています。

 これは入院している患者さんの家族会です。家族会といっても名前は出しません。全員オンラインで、ただ単にZoomで集まって名前も顔も出さない。スタッフはちょっと顔を出していますが、こちらからすると誰が来ているかわからない。完全匿名でいいという形にしています。そこでただ自分の話を話してもらう。その場で答えられる人がいたら答えてもらう。共感してもらう。うちもそうですみたいな話をしてやっていくというようなことをしています。

 こんないろんな依存症オンライン(ルーム)というのがあります。最近は、依存症に関係なくても、例えば統合失調症でも、薬との関係でお酒をやめたほうがいい人はたくさんいます。「お酒をやめないといけないけど、お酒が好きだったので、ひとりでやめるのは自信ないんで、AAというのに入っていいですか」といって、アルコール依存の人と統合失調症の人が一緒にみんなで仲よくAAに入っている。疾患に関係なく同じ目的に向かって一緒にやっていく。僕の中ではすごくいいような気がしています。

 あとは、ほかの病院とオンラインでミーティングしたり、こんな感じで、自分たちはつらかったけど、何で今楽しくやれているのかという話を、100人ぐらいに一遍にしてもらうのを毎月やっています。(病棟での)「言いっぱなしミーティング」、IPS(個別就労支援プログラム)もどきで病棟から仕事に行ってもらったりとかいろんなことをやっています。

 

 イメージとしてはこんな感じで、それぞれスタッフが好きなイベントを勝手にやります。それがお互いに少しずつ影響し合っています。家族やスタッフ、当事者もどれかに引っかかってくれるといいなと思っています。

 依存症からの回復って、-100が0になることじゃないと思うんですよね。-100が+100になることだと思うんです。これは発達障害も一緒じゃないかと思います。発達障害として生まれてきて、それが正常の人に近づいてよかったという話ではなく、いま発達障害である自分を受け入れることによって、「俺、すげえ武器持ってるじゃん」みたいになることがいいのかなと勝手に思っています。

 

 実際に僕は、依存症になってよかったという回復者にたくさん会います。(死ねばいいと思うなんて)ちょっと放送禁止用語が入っていますが、嫌だなと思う患者さんが、数年で自分よりもむちゃくちゃすばらしい人になる。この回復の可能性を知って、伝えて、「あなたも回復する」と信じられるのが依存症の援助者だと思っています。

 

 これは目の前で、僕自身がうちのスタッフからもらった言葉です。「目の前の人は必ず治る。あなたがそう信じ続けられるのなら。あなたが信じられないなら本人も回復を信じられない。だから信じて支援し続けてください」。僕はこれを大事な言葉としてずっと思っています。依存症とか発達障害の方々は、それを自分の誇りに思ってもらえる日が来るといいな、その手伝いがちょっとでもできたらいいなと思っていつも仕事をしています。

 

 本当は、最後に質疑応答を今井さんがやってくれますが、僕は時間ぎりぎりまでしゃべるだろうなと思っていました。今29分30秒ぐらいで時間がありません

今井:5分あります。

 常岡:5分あるの。だって30分までじゃないの。じゃ、質疑応答もやりますが、もうちょっとゆっくり話せばよかったですね。本当にごめんなさい。

 これはこれで皆さん手元にもあると思いますので、オンラインの方々は写メか(28ページ下段の)下のところ(のQRコード)からやっていただけると、質問いただいたものに関してはこういうふうに返させていただきます。

 2年前にやったときは質問がすごく多かったので、Q&A集みたいなのをつくり、メアドと「Q&A集、必要です」と書いてくれた人全員に配りました。もし、質問、意見、何かあったらぜひください。

 あと5分あるようです。今さら最後のスライドで5分しゃべるのは無理なので、質疑のほうに移ってもらっていいですか。では、皆さんどうもありがとうございました。(拍手)

今井:常岡先生、ありがとうございました。それでは、短い時間になりますが、質疑応答に移りたく思います。ご質問等ございましたら、挙手をお願いいたします。

参加者○○:よろしくお願いします。単刀直入に先生にお伺いしたいのは、仕事依存、ワーカホリックについてです。うまく言葉をまとめられなくて申しわけないのですが、仕事依存、ワーカホリックに関しての解釈とか対策を簡単に説明していただきたいので、よろしくお願いします。

 常岡:ありがとうございます。ワーカホリックを簡単に説明しても30分ぐらいかかるので、すさまじく雑に言うと、一個はそもそもワーカホリックが困るのかどうかという問題です。依存症というのは困るからこそ依存症で病気ですが、依存というのは別に困らないものなので、依存自体が悪いものではありません。仕事がすごく好きで、楽しんでいて、自分も困らない、周りも困らないんだったら、それは仕事依存かもしれないけど、仕事依存症ではないだろう。つまり、「好き」でいいんじゃないかと思います。

 ただ、リスクとしてあるのは、1個のものに依存してしまう。要は、仕事だけになってしまうことで、仕事が失われたとき、物理的に仕事ができない、もしくは仕事でうまくいかなかったときに、ほかに何が残るんだとなくなってしまうのが、本人のメンタルヘルスとしてすごくリスクですね。だから、リスク分散としてはいろいろならしておくことを勧めはします。

 その中で、「でも仕事一番なんですよ」というのは、個人的には悪いとは思わないです。仕事が1番で、2番は何と言われたときに全く出ない。要は1から10まで全部が仕事というのは、悪くはないけどリスクだと思っています。すごく雑ですが、そんな感じでいいでしょうか。

参加者○○:ありがとうございます。気をつけます。(笑)

 常岡:もう一人、誰か手を挙げて。

参加者○○:助けになるお話をありがとうございました。私はこちらで世話になっているASD当事者です。あと、診断はされていませんが、父にはADHDと買い物依存があったと思っています。

 買い物依存は先生のお話の中でも何度か登場はしましたが、他方で、例えばこちらの29ページの依存症オンラインルームの相談窓口のようなところでは載ってなかったりするんですね。買い物依存症というのは、引き受け窓口のようなところがあまり積極的に登場してこない印象なんです。

 私がうがって見てしまうのは、困るのは借金を残されて引き受ける家族だけであって、そのほかの人はみんなハッピーだからではないかと思います。そのあたりの何か特别性だったり、あるいは、買い物依存症だったり、買い物依存の家族を抱えている人はどこに助けを求めたらいいのかとかいうことについて、先生のご経験から聞かせていただけることがあればなと思いました。

 常岡:ありがとうございます。まず、買い物依存があまりいろんなところに出てこないのは、一個には、しっかりとした病気として認定されていないというのはあると思います。

 もともと依存症はアルコールが圧倒的にメーンで、そこから薬物もやはり一緒だとなり、最近になってようやくギャンブルも脳の中で同じようなことが行われているとなりました。さらに、ゲーム依存も脳の中でアルコール、薬物と同じようなことが行われているから、依存と捉えようという動きが出ているレベルなので、買い物(依存)まで手が回っていないというのが、多分、医学界の正直なところです。

 もう一つ、じゃどういうものに手が回るのか。やはり人数が多いものとか、社会的な影響が大きいものという話になってしまうので、多分、買い物まで手が回っていません。

 

 じゃどういうところに言うか。もちろん保健センターとかが対応してくれると思いますが、僕が一番いつもつないでいるのは、浪費に関する自助グループです。買い物だけの自助グループも少しあるようですが、買い物に限らない、それ以外でお金をどんどん使ってしまう、ギャンブルではないがいろんなものに浪費をしてしまい、その浪費でもって使うことですっきりするみたいなことを、やめたいけどやめられない人たちの自助グループというのがあって、そこを勧めることが多いですね。

 先ほどのチラシに(買い物依存が)入っていないのは、僕のつくっている団体はそれぞれ当事者の人たちが立ち上げているので、たまたま今その団体に買い物依存の人がいなくて立ち上がっていないからです。もともとはクレプトマニア(窃盗依存症)もなかったし、食べ吐きもありませんでした。それが、その人たちが仲間に入ってくれてできているので、今後もしかしたら、もう1~2年すると買い物(依存)の人も入ってきて、買い物(依存の自助グループ)も立ち上がったりするのかなと思っています。こんな感じで大丈夫でしょうか。

参加者○○:ありがとうございます。

今井:常岡先生、ありがとうございました。まだまだご質問があるかと思いますが、お時間もございますので、第2演題をこれにて終了させていただきたいと思います。最後に大きな拍手をお願いいたします。(拍手)

 常岡:質問をしていただいた方、質問をいただいたことで時間がぴったりまとまって、ありがとうございました。

今井:これにて、2023年度 昭和大学附属烏山病院秋季公開講座を終了させていただきます。この後は東京都精神科医療地域連携事業  公開講演会に移らせていただきますが、公開講座のみのご出席の方はおのおのご退出いただければと思います。Zoomでご参加の方は、チャットにアンケートのURLを掲載しております。そちらよりアンケートにご協力をいただければと思います。公開講演会に移るに当たり準備がございますので、しばらくお待ちください。

(休 憩)