2022年度 東京都精神科医療地域連携事業 症例検討会


2022年9月14日(土)17:30〜18:38 昭和大学附属烏山病院 中央棟4F 集会室

*外部医療機関にはZoomにてWeb配信

司会進行 横山 富士男(埼玉医科大学病院 神経精神科名誉教授 医師。以下、横山)

テーマ『思春期症例』

症例発表② 

石原 里彩   昭和大学医学部 精神医学講座 医師

 横山:それでは会を再開したいと思います。発表2例目、昭和大学医学部精神医学講座 医師  石原里彩先生にお願いしたく思います。石原先生、よろしくお願いいたします。

石原 里彩(昭和大学医学部 精神医学講座 医師。以下、石原):

 ご紹介にあずかりました烏山病院専攻医の石原と申します。よろしくお願いします。

 いきなりどんと写真を載せさせていただいたんですが、少し古めの旅館に見えるかなと思ったので載せさせていただきました。こちらは実は当院の烏山病院にある6病棟のうちの唯一の開放病棟のお風呂場になっていまして、実際にこんなに開放的な空間となっています。任意入院の落ちついた患者さんがほとんどで、休息だったり薬剤調整目的の方がいらっしゃるというところです。

 

 今回はこちらの開放病棟から入院をスタートされた患者さんの症例報告をさせていただきます。単身世帯で生活保護取得の上退院された16歳女性の一例です。こちらのタイトルを見てちょっと変だなと思われた方がいらっしゃるかと思うんですが、未成年の単身世帯で生活保護が取得できるのかといったところで、原則不可と言われています。ご両親に扶養義務があるため、まずはご両親を頼っていただかないといけないというところと、両親やその他親族が頼れない場合も児童相談所などの施設入所が一般的となっています。

 

 では症例に入ります。16歳女性で、小学校のときにADHDの診断をされている方です。生育歴は詳しいことは後ほど説明いたしますが、同胞2名中第1子、長女として出生され、父から母へのDVであったり、母からの虐待であったりと、かなり不安定な家庭環境で育ちました。

 既往は、中学校2年生のときに性被害に遭ってPTSDを発症されています。家族歴ですが、お母様はADHDとBPD、お父様は精神科通院歴があるものの詳細は不明、弟さんはASDの診断となっています。入院前の内服薬はごらんのとおりです。13歳時に試行されるWISCですが、IQはいずれも平均域に達していました。入院歴は、今回の入院とは別に、中学校3年生のときに当院への休息目的の任意入院が一度ありました。

 

 詳細の生育歴です。幼稚園のころから落ちつきのなさを指摘されています。食事中におしゃべりをし過ぎてしまって一緒に食べている相手の子が食事をとれなくなってしまったり、ふだん仲よくしている子が自分以外と仲よくしてしまっていたら、その友人を突き飛ばしてしまったりするなどのエピソードがありました。このころから、父が母にDVをしたことをきっかけに、ご本人が児相で一時保護されるようになっています。

 

 小学校は公立小学校に進学されましたが、授業に集中できないことを主訴に近医の精神科を受診されたところ、ADHDの診断をされました。学校でも忘れ物の多さや落ちつきのなさを指摘されています。小学校のころに両親が離婚され、お母さん、弟と3人暮らしとなりました。

 

 中学校も公立中学校に進学され、このときに弟さんが虐待されたことによって弟さんが児相で保護され、ここからお母さんとの2人暮らしとなります。本人とお母様との折り合いもかなり悪いままで、たびたびお母様とけんかして児相に一時保護されるといった経緯でした。家庭外でも性被害に遭ってPTSDを発症されるなど、かなり不安定な中学校生活を送り、不登校ぎみということでした。それでも何とか高校受験は終了することができて、このころからTwitterで知り合う人と直接会うようになるなど、本人独特の交流関係が生まれています。

 

 高校は定時制の都立高校に進学し、このころは打って変わってかなり忙しい生活となりました。バイトは掛け持ちでフルタイムで週5回で、軽音楽部に所属して、高校の授業も中学と比べてちゃんと行くようになって、かなり忙しい生活をしていた傍ら、家庭環境は悪くなる一方で、お母さんが虐待をされてついに傷害罪で現行犯逮捕して、お母さんとは全面的に接触が禁止となり、ご本人は祖母宅に身を寄せるようになります。しかし、その祖母宅というのも都営住宅であったために同居が困難となっており、本人の生活自体もかなり忙しくて疲弊が明らかとなっていたので生活破綻していました。そこで今回、休息と環境調節目的に入院となっています。

 

 入院後経過です。入院当初から本人は、お母さんと世帯分離してまずは単身世帯にして、自分で生活保護を受給して自立して生活したいといった希望がありましたので、1カ月もたたないうちにまずお母さんと世帯分離して、入院中に関しては本人の名義で生活保護受給が可能というふうになりました。

 

 入院2カ月目に差しかかったところで、本人がその当時入院されていた開放病棟でスタッフに暴力行為がありまして、医療保護入院に切りかえて閉鎖病棟へ転棟となっています。さらに追い打ちをかけるように、本人が所属されていた杉並区から、未成年の単身での生活保護受給は前例がないため不可能であるというふうに通達がありまして、ますます本人が病棟の中でふてくされるようになります。

 ここで本人が施設に入所するという選択肢しかなくなってしまったわけですが、施設の児童相談所側も、本人が施設に入ってもどうせ脱走するだろうというところで、施設を探すのにかなり後ろ向きでしたし、本人自身も拒否的でしたので、全く交渉が進まない期間が1カ月以上続きました。

 

 そこで希望の光となったのが20代の友人宅というところですが、20代友人というのはご本人がTwitterの友達の友達といった間柄の方で、その方が僕は発達障害に理解があるから本人と同居してもいいし世話もしますと言ってくださったので、そちらのご自宅へ退院を目指すこととなっています。誘拐事案にもなったりしたので警察にも介入していただきながらも、何とか20代友人宅へ1泊2日の試験外泊にこぎつけましたが、実際に一緒に住んでみると、この20代友人が、この人のADHD特性は単なるわがままであると言ってしまって同居を渋るようになり、その空気を読んだ患者さん本人が、じゃああなたとの同居はいいですとはっきりと言ったことによって、こちらの計画は頓挫することになりました。

 

 退院調整が白紙に戻ってしまったわけですが、そこでNPO法人に頼ってみるということを選択肢と考えて、わけあり女性を支援するNPO法人というところにまず頼って、そちらで借り上げている団地に単身入居を目指すこととなりました。そちらの団地で未成年で単身世帯で生保を受給した前例が1例だけあったので、ぜひそこに行きたいということで、NPO法人の専属の弁護士さんと、本人が通っていた学校の先生と病院とで、福祉事務所に交渉に交渉を重ねて、何とか入院5カ月目にして杉並区での生保受給が認められます。そして退院となって、退院後は当院の外来通院となりました。

 

 内服薬の経過です。入院時は、PTSD後の過覚醒に対してレクサプロと、ADHDに対してコンサータ、インチュニブを内服されていました。抑鬱気分に関してはあまり顕著ではなかったので、むしろ衝動性に配慮してレクサプロはオフ、インチュニブは増量として、退院時はこのようにすっきりとした処方となっています。

 今回も、薬剤調整が大きなプロブレムというよりは、まず退院調整が大きなプロブレムであったのと、もう1個問題だったのが高校通学の問題でした。年齢ゆえのパーソナリティーの未熟さであったりADHD特性であったり、かなり衝動性の高いところが見受けられたので、外出させてしまうと離院リスクが高いことであったり、コロナ感染対策も相まって、なかなか高校通学を許可することが悩ましいと考えていました。

 

 まず高校通学の問題を見ていきます。もともと春休みを利用した入院だったのが、春休みが終了してしまってまだ環境調整に時間がかかるといった、この星(資料12ページ上段の右図の★)のところで高校通学の問題が発生していました。コロナ感染対策のため、入院患者さんに関しては退院に際して必須なもののみ外出・外泊を許可というふうにしていたんですけれども、とはいえ通学は本人の将来にとって極めて重要でしたので、特例で帰院時刻を順守してもらうこと、外出は授業への参加のみで、部活やプライベートの用事などは一切禁止ですという条件で当院開放病棟からの通学を許可しました。

 

 ところが、初回の外出にて帰院時刻になっても連絡が一切つかないまま帰ってこられず、そろそろ警察に捜索願を出さなきゃといったところでやっと本人が病棟に連絡を下さって、電車を2~3時間乗り過ごしちゃって既に間に合う時間ではなかった、どうせ遅れるので部活の音楽スタジオに行っていましたということで、かなりあっけらかんとした様子で帰ってこられたわけで、今後も外出ルールを逸脱するリスクが高いというところで、外出許可は一旦見合わせることとなっています。

 

 しかし、外出不可となったことにご本人は非常に抗議されてしまいまして、病棟全体への不信感が募って、問題となった初回外出の翌日にスタッフへの暴力行為を認めています。そこで、医療保護入院に切りかえて、開放病棟から閉鎖病棟への転棟となって、その後、閉鎖病棟からも退院まで通学することはありませんでした。

 思うところは、電車の2~3時間の乗り過ごしというのはADHD症状として見過ごしてあげるべきだったのかとか、外出前の段階でルールを破ったらどうなるかということをもっと理解してもらう必要があったのかなど、考えさせられることが多い事例でした。

 

 また、退院先の問題が今回のプロブレムのもう一つの大きなところです。本人の希望としてはアパートなどで単身生活の上で生活保護受給というところですが、もちろんこれは前例がないということです。現実的な選択肢としては児童養護施設であったり自立援助ホームなどの施設入所というところですが、こちらを強い拒否をしておりまして、もしここをもうちょっと本人が妥協していれば入院も長期化しなかったのかなと思います。

 

 今回の一番大きなところですが、未成年で単身世帯で生活保護の受給が認められるときとはということです。両親に頼れなかったり亡くなったり、虐待事例だったり、何らかの事由で施設入所ができないという場合に限って、未成年の単身者が生活保護を受給できることがある程度だそうです。古いデータで恐縮ですが、2011年の時点で、単身世帯で生活保護を受給している未成年者は全国で1400人程度と言われています。

 今回に関しては、福祉事務所が認めるNPO法人に住むこと、最も大きい存在であったNPO法人の専属弁護士がかなり頑張ってくださったこと、病院、学校、NPO法人が連携をとって交渉に交渉を重ねたことが認可の要因だったのではないかと思っています。

 

 本症例全体を通しての検討事項です。入院の5カ月間と長い時間で、通学だったり、たくさん経験できるはずだったことをどうしても制限せざるを得ない状況でした。一方で、外来通院で当院とのつながりを結局希望されたことであったり、ご本人がだんだん感情コントロールをできるようになっていたなど、精神的成長を認めていたというのも事実で、そういう意味では入院の意義はあったのではないかと考えています。

 

 そこで、病院としてどのようなアプローチがよかったのか、私なりに考察させていただきました。地域連携だからこのタイトルというわけではないんですが、「職種・病院を超えた連携プレー」だったのではないかと思っています。医者の立場ですとどうしても外出・外泊を制限することを本人に伝える、ある意味嫌われ者役というところでしたが、それを看護師さん、心理士さん、ソーシャルワーカーさんがフォローしてくださったということです。

 看護師さんは、夜間であっても本人が情動不安定になったときに寄り添う立場でした。心理士さんは入院の前から既に関係構築ができていまして、病院全体がもう嫌だとなってしまったときも常に味方でいてくださる存在でした。学校の先生に関しては、非常に積極的にかかわってくださって、留年にならないような取り計らいであったり、NPO法人の見学の外出時の付き添いなども全て行ってくださいました。NPO法人さんの尽力があったことは言うまでもないかと思っています。

 病院内でお互いフォローしてくださったことで、今回、結果的には病院全体への不信感にはつながらなかったことと、病院外との連携をとったことで本人の希望する退院にこぎつけられたのではないかと思っています。

 

 本人の成長についてです。入院当初は、児相の職員が面会しに来たときには暴言を吐いて会議室から出ていってしまうという、かなり易怒性、衝動性が高い状態でしたが、入院より数カ月たったときには、ある意味裏切られてしまった方である20代友人との会議にもちゃんと参加して、みずからその方へ、私はあなたと同居しませんと意思を伝えて穏便に会議を終わらせるなど、さまざまな面でこの方が成長できたなということはスタッフさんがおっしゃっています。

 このように、入院環境そのものが衝動的な怒りで突発的に行動されてしまう方ではあったんですけれども、薬物療法と、傾聴してくれるスタッフが常にいたことで、感情の対処法を学ぶことができたのではないかと思っています。また、病院内でもさまざまな立場の人間からフォローしてあげることによって、大人への不信感というのがかなり強い方でしたけれども、そんな方が病院そのものへの不信感を抱くことなく済みました。あとは、学校の先生とNPO法人さんのご尽力があって未成年単身世帯の生活保護をかち取ったということは言うまでもないです。

 

 結語です。未成年、被虐待児の退院調整に難渋しながらも、病院内外で連携をとることで、単身生活の上での生活保護受給、当院外来通院の方針で退院することができた症例を経験しました。ご清聴ありがとうございました。

横山:石原先生、ありがとうございました。それではパネルディスカッションに移りたく思います。